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細川歯科医院

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細川歯科医院ブログ 臨床心理学関係 5ページ目

ケースシンポジウム

本日、仕事を早く切り上げて大正大学のケースシンポジウムに参加。

2時間であったが、あっと言う間に過ぎ去ってしまった。

歯科の勉強会とはまた違う、かなり内容の濃い圧倒される内容であった。

そしてまた多々考えさせられることも多く、気づかされることもたくさんあった。

もっとケースシンポジウムに参加したい。

もっと多くの考えをお聞きしたい。

それが今の自分の純粋な気持ち。

興味ある勉強って本当に面白い。

この面白さをもっと広め、もっと多くの人と共有したいものである。

感動する心

今、発達心理学特論を勉強しているが、ここでその放送教材から老年期について少し学んだことを記載。

『老いには、白髪、しわ、しみ、声のはり、曲がった背中など、すぐに見てとれる客観的な老いの部分と

自分自身を年寄りと規定するかどうかという主観的な老いの部分がある。

特に、ものごとに感動する心を失い、何に対しても感じなくなれば、それは老化のしるしであるとされる。

英語の箴言にいわく、「人は感じ方次第で老化するが、感じるということをやめてしまった時、その人は真の老人となる」のである』

人生の半分を折り返すと「自分は何を成したのか?」と考えたりするようになる。

その問いからの答えを見つけることは難しく、だからこそ、それは老年期においての感動を失うということへとつながるのであろう。

そんなに深く考えなくとも、少し見渡すと感動することはいくらでも転がっている。

例えば、、、洗濯物を干すときにハンガーとぴったり数が合ったりする時や

コンビニで買い物ををしたときに「777円」とフィーバーした時などである。

えっ?

こんなことで感動するなんて幸せだって?

だから僕はずっと子どもの心のままでいるのかも知れません(笑)

ただ単に大人になりきれない中年なんですけどね~(苦笑)


感情を汲む

「感情を汲み取ってあげること」それが、人としてとても大切なことではないかと思っている。

大変そうだったら手伝ってあげる。

悲しんでいるようだったら励ましてあげる。

話したいことがあるようならば聞いてあげる。

言って良いこと悪いことを考えてから言葉を発する。

「相手のことを気遣おうとする優しさ」

それを持つことが最終的な自分磨きへとつながっている。

だが、この感情を汲み取ることが出来ない人が最近とても多くなっている。

その原因として考えられるのが、

幼少期の頃に親が子どもの声を聞かなかったということが挙げられる。

子どものたわいもないことを聞くことは簡単そうに見えるが、とても大変なことである。

特に忙しいときは「後にして!」となり、それが繰り返し続くと、子どもは一番身近な存在である親に対してさえも自由に話せなくなる。

その子どもが親になり、また同じように子どもに受け継がれていく。

だが、それだけではないようである。

ここ最近、特に増えていると言われているパーソナリティー障害。

これも感情を汲み取ることが難しいのだが、この病気との関係も何かしらあるようである。

また、これら感情を汲み取れない人の増加の背景には、今の便利過ぎる世の中も切り離せない関係であろう。

先日「SNS疲れ」と題し、自分のSNSを辞めたことを記載したが、このSNSの存在もまた「待つ」ことが出来ない人間へと変えてしまっているように思える。

この「感情を汲み取れないサイクル」を断ち切ることは、一見して容易ではないようである。


箱庭療法

昨日は山王教育研究所にて箱庭の体験を行った。

箱庭療法というのは、セラピストが見守る中で、クライエントが自発的に砂の入った箱のミニチュア玩具を置き、砂自体を使って自由に何かを表現したり、遊ぶ事を通して行う心理療法である。

このワークショップへはかなり前から申し込みをしていて箱庭療法は教科書でしか学んだことがなかったので、実際に箱庭体験をするのがとても楽しみであった。

参加者は9名。

午前中に3名、午後6名の箱庭体験で、制作時間は時間は50分。

先生曰く、箱庭療法は作る過程が大事とのこと。

最初の3名のうちの1名となり、初箱庭を体験させていただきました。

終始参加者に見守られての箱庭作り。

最初はやや緊張気味だったのですが、砂を手にしてその緊張は吹き飛び、すぐさま自分の思うイメージを作ろうと自然と無我夢中になっている自分がおりました。

自分が作った箱庭はこれ。

左上が広大な山々で、そこからゆったりと川が流れている。

その川の周りには動植物がいて、人々は田んぼの中で生活している。

人々は子どもからお年寄りまで。

川はやがて海へと到達する。

これが僕がイメージした箱庭です。

僕の作品から何か感じるものはありますでしょうか?

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疑問

僕が臨床心理学に進むきっかけとなったのが、臨床におけるちょっとした疑問であった。

その疑問とは「一度治った歯周病がなぜまた進行してしまうのか?」

それから次から次へと疑問が浮かび現在に至っているわけだが、疑問を何も持たない人が多いことに驚かされる。

それは特に学生に多いのだが、一般的に活字になったものは正しいことが書かれていると思いやすい傾向にあり、それを信じて疑わない事が根底にあるのだろう。

今勉強している臨床心理学研究法特論からの抜粋を以下に述べる。

「このような問題意識や様々な疑問が生ずるためには、よりよい臨床を行いたいと思う気持ちが底流にあり、そのため自らの臨床を点検する姿勢や臨床上の観察的視点がないと生まれにくい。ただ漫然と日常臨床をこなしているだけでは、疑問や問題を感ずることが生じにくいのは容易に推察できるであろう」

今の僕は疑問だらけであり、その疑問を解決するために努力するのだが、またさらに違う疑問が浮かび上がる。

10年以上その繰り返しである(笑)

もし疑問を抱くことが出来ないのであれば「なぜ疑問を自分は抱けないのか?」とまずそれに対しての疑問を抱いてみてはいかがでしょうか?

ずっと考え、考え抜いて、閃いて出た自分なりの答えというものは、恐らくは自分の一生の宝物となると思いますよ。

大役

昨日ふと思った。

今僕がやろうとしていることは、とても大変な事なのかも知れない、と。

今の歯科において、不定愁訴を持つ患者さんや精神疾患を患った患者さんへの対応をどのようにして良いのかわからないというのが現状である。

それをより明確化しようとしているわけだが、実際のところ自分でもわからないため臨床心理学を学んでいるというわけである。

臨床心理学はエビデンスが乏しかったため、今その方面に進んでいる。

そして歯科学はエビデンスの限界からナラティブ、そしてリレーションといった方面に進みつつある。

両者が全くの逆の道筋を辿っていることは面白いものである。

それをつなぎ合わせようとしているのが、今の僕の役割である。

歯科というのは口の中だけを治すのが仕事ではなく、それ以上の大切な役割を担っている。

それがこの先20年後、30年後、いやもっと先に必ず明らかとなっていく。

そのようなことを考えると、その一歩を踏み始めている自分が、そのような大役を担えるのかという不安と、そして誰もやろうとしていないからこそわき上がる内的モチベーション、人、そしてその心理を学ぶ楽しさとが今の自分の中で交わっている。






次なる疑問

次から次へと疑問が浮かび上がる。

放送大学でこれからの後期に自分が選択した科目は2つで、その2つとは発達心理学特論と臨床心理学研究法特論。

両者共に少しずつ勉強を始めたが、昨日の臨床心理学研究法特論を聞いた講義の中で「クラウンデッドセオリーアプローチ」という初めて聞く言葉が出てきた。

調べてみたらどうやら質的研究に対しての理論らしい。

僕の研究計画は量的ではなく質的なので、この理論も勉強する必要がある。

次から次へと勉強し無ければならない題材が出てきて困ってしまう(笑)

早速アマゾンのお急ぎ便で注文。

難しそうな本なので、それをわかりやすく解説した入門編も一緒に注文したが、それでも自分に理解出来るかどうか…。

この理論の分かり易いセミナーをちょっと探してみよう。

智・情・意

夏目漱石 「草枕」 から

・「智」に働けば角がたつ
・「情」に棹(さお)させば流される
・「意」地を通せば旧鬱だ
とかく人の世は住みにくい。

これは
「理詰め理詰めで論理的に正しい方向だけを目指していると人と人との関係がぎくしゃくしてしまう。
かといって、感情に流されてしまうと行方定まらず流されてしまう。
他方、意地を通す(自分の気持ちを通す)ことは大事な事だが、しかしなかなか思うようにはいかない」

という「自分らしさ」をうたったもの。
やはりどの時代も自分の思うようにはいかず、悩まされるものなのですね。
ここ最近は「レジリエンス」という言葉が出てきたりはしますが、結局はいかに物事を柔軟に見て問題に対してどのように受け流すことが出来るか、なのでしょうか。
柔軟にと言いつつも、変なこだわりって人それぞれ持っていて、時と場合によってはそのこだわりがとても大切なこともありますし、幅広く臨機応変に対応と考えた方が良いのかも知れませんね。

放送大学で学んだ一言でした(^^








てっちゃん

今まで読んでいた本を読み終えてしまったので、またいつものようにまとめ買いをした。
写真.JPGその中でもまず先に目を通したのが「てっちゃん ハンセン病に感動した詩人」

僕は様々な出会いや本を通じ、自分が成長出来ると思われる素晴らしい人を探しているのだが、前にも書いたように神谷美恵子氏は、私が追いかけている中の一人で、その人の生き方や考え方は簡単に真似出来るようなものではない。
真似出来ないからこそ、少しでもその考えに近づきたく、その人が書いた本だけではなくその人が読んだ本をも読むようにし、その人の考えに近づくように努力している。
その神谷美恵子はハンセン病と取り組んだ一人の精神科医なのだが、ハンセン病といっても名前は知っていても私の中で漠然としていた。
そのため数年前、初めて神谷美恵子の名前を知り、その本を読んだあと、一人国立のハンセン病博物館へ行った。

今回まず目を通したその本は、そのハンセン病に罹患した「てっちゃん」という人が綴った誌と写真集である。

ペラペラと眺めただけで思わず涙がこみあげてしまった。

「この人はなんでこんなに前向きな心を持っていられるんだろうか?」

これがこの本を読んだ後の自分がまず思ったことである。
今の世の中は、悲しいことに「心に響く」というものが、作られた物語からが大半である。
作られたものは、所詮その作家の考えの意図するものからなので、そのため小説を僕はあまり好きになれない。
事実から基づく話しの方が、素直に感動し、涙し、喜び悲しむことができ、その話しを通じてさらに多くのことを考える事が出来る。

機会があればこの本を読まれてみてはいかがだろうか?

答えは出なくとも「人間とは何か?」「生きるとは何か?」といった哲学的な考えを感じることが出来ると思う。
僕はこの「てっちゃん」を読んだことで、もう一度神谷氏の本を読み返し、再度ハンセン病資料館に行ってみようと思っている。
写真 (1).JPG

単位が増える楽しみ

放送大学の単位をゆっくりとだが確実に取得している。

必修科目である臨床心理学特論4単位と臨床心理面接特論4単位の計8単位と、そして選択科目である精神医学2単位の計10単位を現在取得できた。

残すは選択科目の8単位を取得できれば大学院修了条件を満たすことになる。

後期は残り2科目の4単位を選択し、来年前期はその残り4単位を選択。

もし順調に取得できたならば、来年の8月で全ての単位を取得。

ここから大学院の受験勉強が始まる。

大学院の試験は10月なのだが、来年は単位を取る勉強に追われるため、8月の結果が終わって10月の試験を受けるには間に合わないので辞退。

なのでその翌年の再来年が僕の受験となる。

1年間じっくりと今までの勉強を振り返り復習するのも楽しいと思し、研究計画書をじっくりと書き上げるのも楽しいと思う。

このペースで進むと46歳で大学院入学(出来たらいいな)。

確かこの放送大学は卒業するまでに2年間面接授業を受け、1年間施設へ出向く実習の計3年間必要だが、施設には週2回必要(だと思った)。

僕の場合、休みが取れないので週1回。

この場合は施設へ2年間通うこととなる(と思った)。

なので、入学から卒業まで4年かかるので卒業時は50歳。

卒業と同時に臨床心理士資格試験を受けるので、順調にいけばこの時に臨床心理士になれる(と前向きの予想)。

面接授業を終えた後2年間あれば、次なる臨床心理士の勉強も出来るだろう(と前向きの予想)。

その後スーパーバイザーの元で学ぶのだが、そのバイザーを探し、お願いするのは前準備が必要。

受験はまだしていなくとも、その仕事はもう始まっている。

自分がその人のもとで勉強したいと思える人や環境を探すのと同時に、カウンセラーになったときにリエゾンで、この症状の患者さんは誰に紹介するのが良いかといった人脈作り。

前は貪欲な知識の習得のために歯科の講演会に参加したのだが、今は臨床心理学関係の講演会に参加。

自分の知識習得のためと人脈作り。

名声を求めていた昔と、よく考えると同じ繰り返しである(笑)





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