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細川歯科医院

住所
〒173-0012
東京都板橋区大和町18-10
田中ビル2階

電話番号
TEL:03-3964-8217
FAX:03-3964-8229

時間・定休日
平日 10:00~13:00  14:30~19:30
土曜  10:00~13:00

休診日:木曜・日曜・祝祭日
(勉強会の都合により変更あり)

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細川歯科医院ブログ 2015年2月 2ページ目

良い休日

試験が終わり自由な時間ができました。
今日は雨振りだったのでハンズでの買い物の後カフェでスイーツ食べながらの読書タイム。
久しぶりにのんびりとした、充実した一日でした。
合間合間で自分のこと、将来のこと、目標、生き方などを考えたりするのですが
その中にこれからの大学院での研究計画も考えたりしています。
取り組みたいことが少しずつ見えてきたように思えます。
まだぼんやりとですが。。。
受験まであと1年以上あるので
それが本当にやりたいことなのか更に考えて煮詰めていきたいと思っています。



良い本との出会い

僕は自分が成長できるものはないかと常に探し続けている。
一番成長できるものは何か?と考えたとき、頭にすぐに浮かぶのが良い人格者との出会い。
素晴らしい考えをお持ちの人からの、ちょっとした会話の中から得られるものはとても大きい。
だがそんなにすぐにそのような人と出会えることはない。
たとえ出会えたとしても、深く接するようにならなければ、表面上での受け答えだけとなってしまう。
それはそれで学ぶことも多いのだが、やはりもっとお話しができる関係になりたいと願ってもそう簡単にはいくものではない。
となると次に成長できるものは何かと考えると、やはり「本」である。
本は多種多様な内容がある。
良い一言を求めたいがために本を読み、素晴らしい人の考えを知りたいがために本を読む。
昨日、良い本との出会いがあった。
「『病いの語り』 慢性の病いをめぐる臨床人類学 アーサー・クラインマン」である。
良い本と出会ったとき「やった~!」という感動の様なものが沸き上がってきますよね(^^
昨日夜ご飯を食べながら読み始めたら、とても興味深い内容でどんどんと中に入り込んでしまった。
まだ10頁しか読んでいないが、僕の心に残る本の一つになると思う。
大きい本なのでトレイルランの時に持って行くことは出来ないので、小さい本と平行して読んで行こうと思う。

振り返ると...

自分の生き方を振り返ると波瀾万丈な生き方だ。
40歳にして臨床心理士を目指すようになったのは
ごくごく自然の流れであったような気がする。
誰もが「困っている人を助けたい」と思うのだが
熱意だけでは助けることなど到底できず
困っている人のマイナスのパワーは大きく引きずり込まれそうになるため
逆に自分が助けを求めるようになりかねない。
それに対応するのはやはり知識に裏打ちされた理論が必要となる。
4年前に臨床心理士の道を目指すことを決意し
1年かけて予備校で全般を学んだ。
その後各論を学び続けて早いもので3年が経過。
勉強し始めてまだ数年なので「基礎の基礎」と言ったところだが
教科書の中で出てくる参考文献で興味ある文章があればその本を読み
面白ければまたその人が執筆している本を読む。
そんな事を繰り返している毎日で
歯科にはない新鮮さが自分にとっての充実した一日一日となっている。
歯科は歯科で面白いのだが
80年代の昔の歯科雑誌を読み見返してみると
皆今よりも考え方が「熱い」ので
恐らく僕も80年代に開業していればそのまま「歯科のみの道」を目指していたに違いない。
今に流れも確かに熱いものも感じたりするのだが
その熱さが「技術ばかり」に向かっているように思え
少し残念に思えてしょうがない。
果たして僕と同じような考えを持っている歯科医はいるのだろうか?
もしいるのであれば、夜通しその考えについて熱く語り合いたいものである。

インフォームド・コンセント

「インフォームド・コンセント」 星野一正 丸善ライブラリー

「医師は、現代の医学・医療ならびに医療技術が、究極のものでなく、まだまだ未熟な点も多く、解明しなければと現在努力している問題もある他に、世界中の医学研究者の誰にも問題意識として上がってきていない全く未知のこともたくさんあるに違いないと、現代医学の未熟さ、不確かさと共に、個々の医師が神ならぬ人間であり完璧ではないことを十分に認識して、医師や医学研究者は自信過剰にならず、臨床医学研究者として謙虚でいなければいけないと思います」

「帰国して暫くして私は、日本の社会では、自分の発言に対して責任を負わなければならないという自己規制をかけようとしていないことに気がつきました。何でも好きに言っておいて、都合が悪くなると平気で『私がそんなこと何時言った?』というような顔をして、あとで別の意見を平気で言う人が多いので、驚いたのでした」

「経験の深い医師であればあるほど、そして医学・医療は自分が知らない世界の各地で絶え間なく研究が進められており、それに伴って常に進歩改良されていることを知っていればいるほど、謙虚にならざるをえないと思うに違いありません」

医療の倫理

「医療の倫理」 星野一正 岩波新書

「このように、私は何度も生命にかかわる病の経験をしたことから、経験を重ねるごとによく見えてくることがあることに気がついた。丈夫で重い病気に罹ったことがない人や、病気はしても入院したり手術を受けたことのない人は、病人に対する理解に欠けていることに自分では気づかずに、勝手な発言をして患者を苦しめたり嫌な思いをさせたりしていることが余りにも多いのではなかろうか。また、人間は誰でもあまり変わりはなく、自宅療養の人も、入院患者も、手術後の患者も、生死の境をさまよった後で行き続けている人も、いつ死ぬかもわからない末期患者も、元気な人と何ら変わるところもなく、同じ感情をもち、同じ考え方をするものだという前提で、患者の身になって考える術すら知らずに、ものを言っていることが多すぎはしないか。また自分の病気に対する受け止め方や対処の仕方が患者によって千差万別であることを認識していないのではないだろうか。元気な時には気の強い意見を言っていたのに、その同じ人が病気になった時にはまったく逆の気の弱い意見を言うことすらあることを知っているのであろうか」

「現在でも、日常臨床の現場で使われている治療法は、先人からの経験の蓄積に負うところが甚大である。理論は解明されてはいないが、こういう治療をすれば病気が治る、という経験的治療法が限りなくあるのである。また、多くの患者に効果がある治療法でも全然効果を示さない患者も結構いるというのが、臨床の現場なのである。すべての治療が理屈通りにいけば、臨床はもっと楽になるはずである。学び研究してきた医学的理論と、多くの患者の診療経験の積み重ねから体得した経験的理論の双方に基づく医療を施しても、その効果への期待を裏切られる度に、医師は、治療の難しさを体得し、期待したような効果を示さない患者を何とかして治さなければならないという必死の努力を重ねて、実力のある医師になっていくのである。教科書を何冊まる暗記しても名医になれるものではなく、こういう苦い経験の蓄積によって、医師に裁量を働かせる実力がつくのである」

「元気なときには強いようなことを言っていても、人間は病気になると気が弱くなったり、神経質で不安に襲われるようになったりしがちなものであり、概して人間は病気や死に対して弱いものであるから、告知後の患者の精神的支援体制についての配慮が必要である。病気らしい病気もしたことがなく、もちろん入院したり手術を受けたこともない元気な臨床経験の浅い医師が、「患者の真実を知る権利を無視して告知しないのは間違いであり、告知するのが患者のためである」として、告知後の精神的ショックやそれに基づく心因性反応による身体的な症状に対しての経済支援計画もなく告知して、後は家族に押しつけているようなことを最近よく耳にするが、医師としてあまりにも無責任といわざるをえない」

「患者に接するときに、表情や会話の端々に表れる感情の動きを見逃さずに捕え、容態やその日の気分などをも考え合わせて理解し、いわたりと慈しみの言葉をかけながら気持ちを通じ合わせようとする努力は大切だと思う。しかし、患者の身になって考えようとする努力が行きすぎて、患者の意思を無視して「気晴らしに面白い漫画でも読んだら」と漫画などに興味もない患者に、医師や看護師が自分が興味のあることを勧めるのは、余計なお節介というものである。本当の親切というのは、患者が何を求めているかをよく聴いて、それが可能ならばできるように手助けをするということであろう」

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